不思議な不思議なお話



今日は母の祥月命日なので、青山フラワーマーケットでお花を買ってきました。
お仏壇は実家にあるので、我が家では部屋の片隅に写真や思い出の品を飾ってるだけですが、お花はたいてい青山フラワーマーケットで買います。
可愛くてセンスがいいから。







母の三年後に逝った父も仲良く写真に収まってます。
この世代の人は、夫婦でツーショットなんてほとんどないんですよね。
私がプレゼントした『某豪華ホテルに一泊旅行』での一枚は貴重です。
テディベアは、母が晩年になって父にせがんで買ってもらったもの。
父の愛用の万年筆や猫の形の文鎮なども置いてあります。






さて、今日は母が亡くなった日の不思議な話を初めて公開します。








末期の胃がんを手術してから、余命半年と言われながらその後の五年間を比較的元気に過ごした母は、半年間の壮絶な入院生活の末に亡くなりました。
5年前の今日のことです。
入院してからの半年間、私は毎日お見舞いに通い、その足で父の住む実家へ食事のしたくや家事に通っていました。
そう長くはないとわかっていたので、自分のことは顧みずひたすら頑張っていたのです。



最後の一ヶ月くらいは痛みで苦しむ日々が続き、本人には告知していなかったので「もう少し頑張ったらきっと元気になれるよ!」と、やせ細った脚をさすりながら励まし続けていました。
私もつらくて苦しくて、母の病室に入る前に必ずゆっくり深呼吸して無理やり笑顔を作って入っていたのを、今でも覚えています。


そして、母が最期を迎えたのは、10月30日の夜遅くになってからでした。
その前の晩から私は泊り込んでいたのですが、危篤と言われて家族や親せきに連絡し、お昼近くにいったん家に戻りました。
ちなみに、家から病院までは自転車で10分ほど、実家までは地下鉄を使って30分くらいです。


そのあと、学校から戻った娘と一緒にタクシーに乗り、再び病院に着きました。
父と弟家族、夫、一番親しい従姉も駆けつけました。
その頃、私は自分の携帯電話がないことに気付きました。
でも、その時点ではどうすることもできません。
たぶん、来る時のタクシーの中で落とした気がするので、翌日にでも手を尽くして探さなきゃ、と思っていました。



そして夜になり、深夜に近くなった頃にすべてが終わって、葬儀社の車で母を家に戻し、父と弟たちも一緒に帰りました。
私たちも家に帰るため、夜中の10時頃に病院の裏玄関を出て、近くでタクシーを拾おうと思いました。
いつもなら病院の入り口には客待ちのタクシーがたくさん並んでいますが、こんな夜中にいるわけもなく。



と、思っていたらなんと、病院の玄関口にポツンと一台のタクシーが止まっているではありませんか。
「あら、ついてるー」と思って近づいて行く時に、私は不思議なことに気付きました。
なんとなく、昼間乗ったタクシーに似ていたからです。
そして、乗り込んだ時に「あ」と思いました。
フロントガラスのところに貼ってある運転手さんの名前と顔に、なんとなく見覚えがあるような。
でも、まさかそんな偶然があるはずもなく、気のせいかと思いました。



それでもダメもとで、行き先を告げてから「あの、もしかして、今日の昼間に携帯電話が落ちてませんでしたか?」と聞いてみました。
すると…「あ、あれお客さんのでしたか?お昼ごろ落ちてたって、あとから乗った別のお客さんが後ろの座席の下から拾ってくれたんですよ」。
私は声も出ないほど驚きました。
だって、タクシーはだいたい同じエリアを巡回しているとはいえ、その日のうちに同じタクシーに、しかもありえない時刻に乗り込むなんて。
夜中に病院の前で待ってたタクシーっていうのも不思議な話です。



ひたすら驚く私たちに、その運転手さんは「そういう落し物は、すぐに事務所に届けなきゃいけないから、今はないんですよ。お客さんさえ良かったら、明日の早朝にこのへん通るから届けてあげますよ」とまで言ってくださったのです。
我が家のマンションの前で降りる時に「じゃ、明日の朝7時にここに来ますから」と。
もう、ありがたくてありがたくて、信じられなくてほっぺをつねってみたほどです。



娘が「ばぁばちゃんがやってくれたんだと思うよ」と言っていましたが、その通りだと私も信じています。
すべて母のおかげだと。
偶然に偶然が重なっただけかもしれませんが、私はこの日のことを一生忘れません。
世の中には、そういう不思議な現象があるってことを。



今日はそんなことを思い出しながら、母を想いながら過ごしていました。
とは言え、フィットネスと仕事でバリバリ忙しかったですけど!